「南方の故郷:花蓮湾生物語1910-1946」70年前,最長的一夜

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◤洄瀾人文館企画展◥

「南方の故郷:花蓮湾生物語1910-1946」展場文字

█ 收音機傳來神的聲音

「只今より重大なる放送があります。全国聴取者の皆様御起立願います。」
現在即將有重大放送。請全國聽眾朋友起立。

「天皇陛下におかせられましては、全国民に対し、畏くも御自ら大詔を宣らせ給う事になりました。これよりつつしみて玉音をお送り申します。」
天皇陛下即將親自對全體國民宣讀重大詔書。現在開始播送玉音。

「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀トニ鑑ミ、非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ、茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク……」
朕深鑑世界之大勢與帝國之現狀,欲以非常之措置收拾時局,茲告爾忠良臣民……

─ ─ 

終戰前花蓮,為避免空襲早宵禁多年,米、鹽、糖…等一干民生用品則採配給管制,戰事越到後來告急,徵召青年熱血赴南洋或其他戰場,卻只換回更多犧牲。

日本的頑強抗隅, 1944年10月13日,盟軍展開全台大轟炸,B29戰機鎖定交通及廠房設備大肆破壞,花蓮天空染紅序幕也自此揭開,縱谷北段一帶─花蓮港口、車站、南機場、日本アルミニウム(製鋁)株式會社花蓮港工場,壽工場及大和工場(產製酒精及砂糖)等遍地瘡痍,諸多設備毀於此役,隨後更多砲火無情落下,較具規模者就有26場。

空防門戶大開,市街民眾紛往鄉下疏開避難,平時物資業已緊縮的吉野村民(今花蓮吉安地區)感受更深,雖明白帝國已是強弩之末,但當昭和二十年(1945)8月15日午,收音機傳來天皇宣告無條─件投降放送時,許多人仍痛哭失聲。過去為維持天皇的地位神聖,從未有天皇使用廣播前例,萬萬沒想到7300萬日本國民的初體驗,竟是整場戰爭敬若神明的天皇,低頭投降的訊息。

「終戰玉音盤」採事先預錄,從錄製完到播出,還一度引發宮內政變,索性很快受到壓制,事件後陸軍大臣阿南惟幾、航空總務部長隈部正美等34名將官,以切腹或開槍自殺作結。日本投降消息,後續再透過報紙及廣播輪播,幾日後台灣全島周知。

而灣生將離開出生家園的故事,就此開始。

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◤洄瀾人文館企画展◥
「南方の故郷:花蓮湾生物語1910-1946」

場所は洄瀾人文館2F特展室
入館無料

@展示期間:
2016.06.21(二) ~ 11.20(日)

@開館時間:
火曜~金曜 午後13:30-17:00
土日 午前9:00-12:00;午後13:30-17:00
休館日:月曜日、および国定休日。
観光旅行部門、団体ツアー様の観覧で案内が必要な場合は、事前にご連絡下さい。開館時間外も受付可能です。

主催部門:花蓮市公所│花蓮市民代表会
展覧企画:o’rip生活旅人
関連情報については、 花蓮市公所公式サイトwww.hualien.gov.twまたはFacebookをご覧下さい。

@交通情報:
洄瀾人文館
970 花蓮市公正街14號
TEL:03-8310153 # 16

 

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《灣生的摩登花蓮港》海報

(文/黃啟瑞)

響應國家移民政策,有一群人作下永久在住決定,前來這座南方島嶼。

花蓮南濱接駁上岸後,迎面而來的是未知的生存環境及嚴峻考驗,前不久才發生的族群衝突剛歇,再優渥的官方條件誘引,也抵不過時不時風災、地震、野獸威脅,加上輕易奪去親人生命的瘧疾、恙蟲、赤蟲等熱帶傳染疾病,受不了的人放棄回去了,留下來的,灌溉缺水就測地形開圳引水,洪患來得兇就加厚加高沙包,好不容易找到合適作物種下,才開始有一點溫飽,是這樣的村莊,總算揚起了樂舞,有騎馬遠乘會、供應皇室的貢米、甚至研發起花蓮薯芋等菓子名物。

雙手磨砥、血汗滴下,甚至一坏土埋葬親人,換得文明的一小口果實,肯付出就有回報。1910到1945年間,與自然爭地、與異族友好、請老天爺賞口飯吃,乃至建立起村落文明,蠻荒→家園→村落→國家,千年進程彷如映畫快轉卅年完成,放眼全人類,這樣的個人經歷算是難能稀有的。

或許這也是灣生更難忘懷台灣的緣由之一,曾經觸摸、感受到從無到有的幸福,毋寧是加倍的,卻萬萬沒想到一切瞬間又復歸於無,也是如此,半世紀過了、七十年過了,他們還一直想回來,身體老邁了,還想再踏上台灣花蓮,明白早已是異邦,再呼吸一口這兒的潮褥暑悶都好,最好還能尋到兒時玩伴…

如何にいます父母,恙なしや友がき,雨に風につけても,思いいずる故郷。父母親現在生活過得怎樣呢,朋友們都平安無恙吧,即使被雨淋被風吹,也會懷念起我那故鄉。

─《故郷, ふるさと》,高野辰之詞、岡野貞一曲,1914尋常小学唱歌

灣生心裡的夢土,深難忘懷的花蓮,不懈的信念鋤鬆泥土,天地自然回報你溫飽,帶來的柑橘、種下的樹,一天一天慢慢長大了,騎馬馳騁木瓜溪北側馬場,是這樣的家園,令人永難忘懷的家園。

こころざしをはたして いつの日にか帰らん,山はあおき故郷 水は清き故郷。我在心中發誓,哪天一定要回故鄉去,那個群山蒼翠的故鄉,那個河水清泠的故鄉。

─《故郷, ふるさと》,高野辰之詞、岡野貞一曲,1914尋常小学唱歌

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《南方的家園~花蓮灣生故事特展》

地點:洄瀾人文館(花蓮市公正街14號)

展期:2016.06.21(二)~11.20(日)

主辦:花蓮市公所、花蓮市民代表會

展覽策劃:o’rip生活旅人

「南方の故郷:花蓮湾生物語1910-1946」異國の丘

狀態

灣生展裡,安置了二區數位螢幕。一台播放戰後日本開始傳唱的〈異国の丘〉,歌詞裡講的是去國日本人,在異鄉到返鄉的心情。一台則是國立台灣歷史博物館所授權的〈南進台灣〉數位修復版,我們擷取了花蓮港的開發宣傳部份播放。

〈異国の丘〉這歌,一度成為我做展場功課時,每日必聽的音樂。後來還因為準備志工培訓功課,意外發現一齣同名歌舞劇,由享有日本劇場傳奇的四季劇團編演。

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◤洄瀾人文館企画展◥
「南方の故郷:花蓮湾生物語1910-1946」

場所は洄瀾人文館2F特展室
入館無料

@展示期間:
2016.06.21(二) ~ 11.20(日)

@開館時間:
火曜~金曜 午後13:30-17:00
土日 午前9:00-12:00;午後13:30-17:00
休館日:月曜日、および国定休日。
観光旅行部門、団体ツアー様の観覧で案内が必要な場合は、事前にご連絡下さい。開館時間外も受付可能です。

主催部門:花蓮市公所│花蓮市民代表会
展覧企画:o’rip生活旅人
関連情報については、 花蓮市公所公式サイトwww.hualien.gov.twまたはFacebookをご覧下さい。

@交通情報:
洄瀾人文館
970 花蓮市公正街14號
TEL:03-8310153 # 16

【今夏好友way散步】7/16 灣生。花蓮港之卷(隨行記錄)

今夏開走的這日,我們準備了青豆、毛豆及黃豆(花蓮一號、高雄十號、基改及非基改黃豆),原先的想法是希望帶領參加者認識甚至品嚐豆製品在各階段的味道,雖然豆子都泡好了,但還是有些環節得調整,幾經決定下,還是去電告知了事先報名的朋友,徵其同意下,更動為也是o’rip日前策劃的洄瀾人文館「南方的家園-花蓮港灣生故事特展」為主題。

灣生主題的花蓮港街區帶路,過去走過幾趟,但這次有前面幾月策展功課的加持,更是駕輕就熟。但沒想到,下午報名一起走的,竟有來自法國及荷蘭的朋友,幸好同行的背包客棧小管家,幾乎一對一的用英文支援。
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o’rip出發,很快來到新港街。新港街是花蓮早期已發展的街道之一,歷來聚集了許多醫生不同科別於此執業,有醫生街之稱。

13769523_1128110457211751_7127696126467188870_n洄瀾人文館灣生展場,灣生引掦回日本後,念念不忘曾經住過的南方家園,有機會連繄上,逐漸串起過去的共同回憶,於是辦理聚會,吉野會、花蓮會、豐田會、林田會,甚至訂下每年回台的聚會~

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「南方の故郷:花蓮湾生物語1910-1946」湾生展開催の意義

灣生的圓卡牌

展示で扱うのは、戦争という巨大な波が日台両地の人々を引き離し、その想いをも引き離した、そのなかで、人々は国家という大きな機械に弄ばれ、そこからなんとか生き伸びようと懸命だった時代である。

ただ、ここで私たちがもっと深く知りたいと思うのは、日本経済は戦後、見事な復興を遂げたにもかかわらず、なぜ湾生たちは数十回にも渡って台湾を訪れ、まだいまなお、南の故郷をずっと忘れないままでいるのだろうか?ということである。

仮に「湾生」という人たちが、ただ国家の要求に応え、ある時間と空間の交わるところに、ただ存在させられていた、という人々だったとすれば、「湾生」の歴史を振り返ったとき、彼らはその身体を国家に捧げ、国の開発の道具にされた、という事実にも向き合わざるを得ない。

この「湾生」を、ただ一時的ブームとして取り扱うのではなく、東台湾における重要な開発史の一部でもある、ということを広く知ってもらいたくて、この展示会を企画した。

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◤洄瀾人文館企画展◥
「南方の故郷:花蓮湾生物語1910-1946」

場所は洄瀾人文館2F特展室
入館無料

@展示期間:
2016.06.21(二) ~ 11.20(日)

@開館時間:
火曜~金曜 午後13:30-17:00
土日 午前9:00-12:00;午後13:30-17:00
休館日:月曜日、および国定休日。
観光旅行部門、団体ツアー様の観覧で案内が必要な場合は、事前にご連絡下さい。開館時間外も受付可能です。

主催部門:花蓮市公所│花蓮市民代表会
展覧企画:o’rip生活旅人
関連情報については、 花蓮市公所公式サイトwww.hualien.gov.twまたはFacebookをご覧下さい。

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970 花蓮市公正街14號
TEL:03-8310153 # 16

 「南方の故郷:花蓮湾生物語1910-1946」展示内容の紹介

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この特別企画展は、時間を逆に遡り辿っていける仕組みとなっている。

第一部は、「最後の別れ」。1945年の天皇玉音放送に始まり、各地から日本人が引き上げ帰郷してゆく場面。一生を捧げ努力して作り上げてきたもの全てを手放し、その後、なお、戦後の焼け野原から再度立ち上がることを余儀なくされた時代。

第二部は「南方の故郷」。日本の官主導の移民政策において、なぜ東台湾が選ばれたのか。そして、移民たちの反応はどうだったのか。またどのように天災や伝染病などの問題を克服し、最終的に安心して住める町を建設していったのか。今回、花蓮文化局、吉安小学校、花蓮農業改良場、恵比寿餅店などから、個人所蔵品を含む非常に貴重な文物をお借りして、湾生たちの花蓮港での生活が当時どのようなものであったか、モノを通して窺い知れる仕組みとなっている。

第三部は「両地の想い」。回顧録、書簡の展示、また、湾生が次々とこの地に繰り返し戻ってきては交流をつなげていった、台湾と日本の両国の友好関係が続いてきたことを示す内容である。

最後は、「後につなげる行動」。湾生の観点から覗いた、台湾の地における歴史的過去だけではなく、観覧者自身が、もし過去の歴史に興味があれば、その歴史的地点から、さらに過去の歴史をどのように紐解いてゆけばよいか、歴史的手がかりをどのように辿ってゆくか、といったヒントを、今回特別に、花蓮戸籍管理事務所と共同で提供する企画である。

最後に、「二度と戦争はしない」という想いが、この展示をご覧になっていただいた人全ての心の中に響き、変わらぬ願いになると信じている。

洄瀾人文館:花蓮の色鮮やかな人と文化が織りなす物語の発信基地

旧花蓮憲兵館舎を補修、建て替えて作った洄瀾人文館は、2014年に開館し今に至る。

現在、一階の廊下には昔の古い写真の数々が展示されており、山風海雨常設展ホールおよび憲兵体験館等がある。二階は特別企画展示室となっており、花蓮に関係のあるテーマが不定期で入れ替わり展示される。

三階は繁花空間で、ここでは洄瀾接客ロビーと、各都市とのスペシャリストとの交流のための宿舎が設けられている。

人文、歴史、社会的参与、これらすべてを結んでゆく、総合展示館である。

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◤洄瀾人文館企画展◥
「南方の故郷:花蓮湾生物語1910-1946」

場所は洄瀾人文館2F特展室
入館無料

@展示期間:
2016.06.21(二) ~ 11.20(日)

@開館時間:
火曜~金曜 午後13:30-17:00
土日 午前9:00-12:00;午後13:30-17:00
休館日:月曜日、および国定休日。
観光旅行部門、団体ツアー様の観覧で案内が必要な場合は、事前にご連絡下さい。開館時間外も受付可能です。

主催部門:花蓮市公所│花蓮市民代表会
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「南方の故郷:花蓮湾生物語1910-1946」展覽介紹

有一群人,他們在台灣這塊土地出生,胼手刻苦參與了父母輩建造家園的過程,卻因戰火無情延燒及政權轉移,最後被迫離開這片充滿回憶的地方。

從此,台灣成了他們夢中記掛的故鄉。

█ 這群人叫「灣生」

「灣生」指的是1895年日本人領有台灣土地,到1945年戰敗歸國這段期間,在台灣出生的日本人後代。

█ 花蓮港灣生故事

屈指一算,終戰迄今超過七十年,離台當年時屆壯年的灣生早已凋零,年幼者今也已白髮蒼蒼,歲月如浪無情沖刷,或可回答何以是這時,牽動許多人的心。

報章媒體陸續披載著灣生重返花蓮,憑著有限的記憶線索或殘紙信箋,尋覓查訪或已搬遷的故舊友人與景物。戰爭巨輪隔閡兩地思念、乖離人倫,國家機器擺弄下人民卑微求存,其實我們更想探問,戰後日本經濟復甦迅速,何以灣生去台數十載,仍然念茲在茲這處南方的家園、故鄉?

─ ─

歴史の中の、とある人々。彼らは台湾のこの土地で生まれ、両親たちの世代と苦労を共にし、この町の建設過程に懸命に携わってきた。しかし、やがて戦火は中央政権をも焼き尽くし、新しく取って変わった政権が、彼らの思い出がたくさん詰まったこの土地から彼らを追放し、最終的に彼らは、この土地から離れることを余儀なくされた。

そして、この地花蓮は、彼らの美しい夢のなかに残る故郷として、記憶の中にいつまでも留められていったのであった。

湾生と花蓮港

日本人により東台湾で行われた特殊運営は、個人会社の設立投資、移民開拓の奨励、その後明治43年(1910)より始まった政府の直接介入事業「官営移民事業」から、第一次移民の徳島住民が花蓮の土地の最初の一歩を踏みしめるまでを最初の始まりとして、開拓民は政府の優遇措置に応じて、各種の建設工事に参入参与してきた。天災、疫病、獣害など、幾多の困難を克服し、やっとのことで安心して暮らせる町の建設を完了させた。当時の吉野、豊田、林田、の三つの移民村に花蓮港庁を加えたものが、当時日本の拠点として名を馳せた。ただ、当時誰にも予測できなかったことは、昭和20年(1945)天皇による降伏宣言に引き続いて、移民たちとその二世(湾生)(注1)は、それまで苦労して開墾してきた全てを、その後、すべて手放さなければならなくなったことである。敗戦、そして、引き上げ、という運命を受け入れざるを得なかった。

日本人が残した花蓮建設
花蓮における日本の移民建設は、短時間で効果が上がるよう、土地の改良、堤防、排水灌漑施設、公共衛生など各方面の問題改善に向けた、大量の資金投下が行われ、これを激しく消耗した。このことは、遠まきながらも、その後の挫折に繋がる隠れた要因となった。だが、日本人は半永久的にこの地に住むという算段で建設、運営を行っていったため、このような大々的な工事建設が行われ、その際に用いられた生産技術、医療、教育、文化など各方面で、花蓮のその後の発展の礎を築いた。移民指導所、町村の神社、布教所、組織機構などは、今日の花蓮の貴重な歴史的文化遺産である。

日本と台湾が互いに育み維持してきた友情と交流

日本に引き揚げてからの湾生は、経済的困窮が解消された後、湾生同士互いに連絡を取り合い、当時移民村にいた人々の輪がだんだんと繋がり始めた。その後、通信誌を発行し、毎年定例会を開くようになった。かなりの数の人が、台湾の旧友と熱心に連絡を取り合い、毎年年賀状を送り合い、プレゼントを贈り合い、また、ある人は晩年になって自身の想い出を綴り、昔住んでいた花蓮の家の場所を探し歩いては、その物語をメディアに投稿したりした。こうして、花蓮から、日本の関東、四国、九州、関西、各地を結ぶ交流が次々と起こり、終戦から今までの年数を指折り数えると、悠に70年以上もの時間が経過していた。当時台湾を離れた青年は、いまはすでに亡き人となり、年端も行かなかった子供は、いまはもう白髪の老人となっていた。時間の推移のなかで、当時の記憶はだんだんと埋もれていったが、日本と台湾両国の友情と交流は、これからもますます篤く活発になってゆく。

(注1)「湾生」とは1895年日本人が台湾の土地を占領し、1945年の敗戦引き上げまでの間の、台湾で生まれた日系二世を指す。

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◤洄瀾人文館企画展◥
「南方の故郷:花蓮湾生物語1910-1946」

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2016.06.21(二) ~ 11.20(日)

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火曜~金曜 午後13:30-17:00
土日 午前9:00-12:00;午後13:30-17:00
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